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大学院に入って良かったことまとめ

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3/23を持って、東京大学農学生命科学研究科・生産環境生物学専攻(名前長い)を、無事修了致しました。

学部で卒業した友人が、金銭的に余裕を持って遊んだり、美味しいものを食べている様子を見て、「学生をさらに2年続けるなんて、お坊さんの1000日修行を500日くらい延長するようなものでは?」と感じたことがあります。わざわざこんな苦行をする意味はあるのかと気もを抱えたまま研究していたこともありました。

しかし、いざ修士生活が終わってみれば、 どことなく寂しさのようなものが拭えません。 絶妙にセンチメンタルな自分がいることに、正直驚いています。 きっとこの気持ちは、 他の場所では得難い経験を、この2年間で得ることがで来た証拠でしょう。

今回は、そんな思いが冷めやらぬ間に、 大学院修士生活の2年を振り返り、 僕が大学院でどんな財産を得たかを、まとめてみようと思います。

アカデミアとビジネスの違いを知れた

なんと言っても、これが大きい。

アカデミアで研究をする傍ら、計3社で1ヶ月以上の長期インターンシップを経験しました。 部活動やサークル等の、学業とは異なる居場所が欲しくて始めた意味合いが大きいように思います。

昼はアカデミアで研究に勤しみ、夜時間がある時は長期インターン。 このような生活を繰り返していると、「アカデミア」と「ビジネス」の 大きな違いが浮き彫りになってきました。

ビジネス

Fintech系とバイオベンチャー、4月からの就職先の3社ですが、3社とも、役に立つ仕事の量が、評価の軸でした。資本主義においては、取引相手に「役に立つ」ものを提供できなければ、生き残れません。少し考えれば当たり前のことですが、ビジネスの世界は、会社への貢献度が全てなのです。

仕事に集中していない時や、ミスを連発した時はめちゃくちゃ怒られました。 これは、「役に立つ」成果を発揮していないので、当然の帰結です。

しかし、社員さんの手が届かない作業のお手伝いを率先して行うと、 逆に可愛がってもらえるようになりました。

企業やビジネスの世界では、 なるべくミスをせず、目の前の作業に尽力し、 その傍ら、他の社員さんの手が届かない作業に勤しむ。 こうすることで「役に立つ」というパラメータを最大化し、 貢献度を上げることができることを学びました。

アカデミア

一方大学院では価値観が大きく異なります。

研究室にとって役に立つことだけしていても、卒業できるとは限りません。 極端なことを言えば、ティーチングアシスタントに積極的に取り組んだり、教授に頼まれた解析を手伝ったり、先輩が実験のために育てた作物の手入れをしても、「卒業論文」を書かねば、卒業できません(当たり前)。

逆に、理論に大きな穴もなく、新規性のある話題で、 サイエンティフィックなお作法にのっとって、論文を書けば、 誰かの役に立っていなくても、 アカデミアでは称賛を得ることができるでしょう。

強いて言うならば、組織への貢献ではなく、 サイエンスへのインパクトが評価の基軸になっています (企業との共同研究となると話は別です)。

アカデミアとビジネスのどちらが良いか、 そんな議論をするつもりは毛頭ありません。 しかし、どちらの世界にも片足を突っ込んだことで、 どちらの立場の人の気持ちも、 ある程度わかってあげられる人間になれたのではないかと思っています。

体系だっていない知識を体系化する術を学んだ

幼稚園・小学校に始まり大学の初等教育まで。 およそ20年間。 僕たちは「体型だった知識」を学び続けてきました。

例えば、社会でであれば、縄文時代弥生時代から始まり、 一連のストーリーとして日本史を学ぶことができます。 土器や稲作をはじめとする文化が、どのように未来に影響を及ぼしたか、 年代を追いながら勉強することができます。

義務教育の枠組みの中で、平安時代を勉強してから、 奈良時代に遡って学んだという人は極々少数のはずです。

しかし研究生活では、そんなことが頻繁に起こります。

例えば歴史の例ですと、 最初に平安時代について勉強し、 「文化的背景のつながりで、気になることがあったから、奈良時代について書かれた文献を調査しよう」といった具合で、 提供されたわけでない過去の知識を、 自分で掘り起こさねばなりません。

また、順番だけでなく、 知識同士のひも付き方が、不透明なことも多いです。

例えば自分が研究している分野に明るくない段階では、 最新の論文を読んで分からないことが、本当にたくさん出てきます。

しかもその分からないことが、「どこを見ればわかるか」さえ分からないこともあります。分からない場所に引用文献がreferされていたとしても、その引用文献に飛ぶと、分からないことがさらに増えるなんてこともあります。

最初の疑問が完全に解消されるまで、何ヶ月もかかることもありましたし 、解消されないまま卒業することになってしまった問もたくさんありました。

しかし、このような環境にいたからこそ、 知らないものを一から学び、 体系立てた知識を構築する力を養いました。 教科書を与えられなくても、自分で情報を収集し、 具体化・抽象化することで、自分に最適な教科書を作ることができます。

生きるとは学習の積み重ねです。 死ぬまで学習から逃げることができないのだとしたら、 この力は研究だけでなく、 今後の人生の様々な場面で生きるものだと確信しています。

すごい人たちがすごくなっていく過程を知った

この二年間は、日本の中でもトップレベルに優秀な人達と話す機会に恵まれました。

東京大学には「総長賞」と言って、 学業や課外活動において優れた成績を収めた学生に、特別な賞が贈られます。学業部門は特に、学部生から博士過程の全東大生が対象であり、その中で10人に満たない選ばれた者のみが受賞する賞です。

この賞を、2年前に、1〜2年生で同じクラスだった友人が受賞しました。また、今年度においては、同じ学科かつ同じ研究室だった同士と、インターン先の後輩が受賞しました。しかも後輩の彼は総長大賞という、総長賞の中でも特別な賞です。

また、理学部物理学科のトップを張る友人たちとも仲良くなりました。 数理系が強い彼らは、特に賢く見えました。

そういえば、今巷を騒がせている河野玄斗とも、体育のクラスが一緒でした。

彼らは間違いなく、日本でトップレベルの学生です。そんな彼らとと知り合えただけでも財産なのですが、知り合えたこと以上のメリットが僕にはありました。

それは、彼らが「すごくなっていく過程」を知れたことです。

みんなもともと賢いし、かなりの下積みがあるとは思うのですが、研究のネタや方針で頭を悩ませていたり、時間に追われて焦っている時もありました。

全て完璧にこなす逸材ゆえの成果というよりは、 目の前のことに真摯に取り組み、 一歩一歩前進してきた結果であるように、 僕の目には映りました。

その一歩一歩が、学会での発表や、 投稿論文の執筆に繋がり、 みんなから「すごい」と目に見えてわかる高さまで積み重なっていったのだと思います。

元々優秀な彼らですら、 積み上げることで「すごく」なっているのだとしたら、 僕は余計にのうのうと生きていてはいけません。

時間の使い方や物事の優先順位にもシビアになって、 「今できること」を着実に積み重ねていかなくてはなりません。

そう思わせてくれる友人に出会えたことは、 僕にとってきっと東大でしか手に入らない、 貴重な貴重な財産だったと思います。

最後に

この4月から、社会人として新たな人生をスタートしました。 全く違う世界で生きていくことになるわけですが、 修士生活の2年間で得たもの、これからも忘れずに持ち続けたいと思っています。

本記事が、大学院進学を考えている人の決断の手助けになることを願います。